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村山総区

【総区の日】1月21日

【淵源】

1983年(昭和58年)、池田名誉会長が東大和文化会館での村山圏(当時)幹部会に出席し、「同志間の『励まし』が、信心と幸福への重要な鍵となっていることを忘れてはならない」と強調した。
※2014年から。2013年までは7月20日が総区の日だった。2004年7月20日、池田名誉会長は、広布拡大の金字塔を打ち立てた友に和歌を贈り、〝村山総区は永久に輝く〟と讃えた。

池田先生のご指導 ~抜粋~

時は巡り、昭和五十年代、私は、幾たびとなく立川文化会館を枢要な陣地として、広宣流布の指揮をとった。
迫害の嵐のなかで、反撃の闘争のなかで、東村山文化会館に、東大和文化会館等にと走り回り、わが多摩の同志を励ましたことは、決して忘れることはできない。

八八年(同六十三年)の四月、私は、学会本部で、東村山圏(当時は東村山・東久留米・清瀬の三市)の友にお会いし、「難こそ誉れ」「難こそ喜び」という、大聖人直結の学会の信心を指導した。
さらに、三カ月後の七月五日には、村山圏(当時は武蔵村山・東大和の二市)と練馬の合同幹部会に出席した。
村山には、団地の友を中心とした地道な地域貢献によって、全国模範の団結の城が築かれていた(東村山と村山の二圏は現在、一体の「村山総区」へ大発展している)。
私は、十九年前(一九六九年)の七月六日の、かの村山指導の足跡を思い起こしながら、この「七月六日」の深き意義を語っていった。
それは一九四三年(昭和十八年)、牧口初代会長、戸田第二代会長が、仏法の正義を貫き、軍部権力の弾圧で逮捕された日である。
そして、牧口先生は殉教。戸田先生が一人、生き抜いて獄門を出られた。
「極悪の連中は絶対に許さぬ!必ず牧口先生の仇を討ってみせる!」――これが、広布の巌窟王・戸田先生の決心であったと、私は強く訴え抜いてきた。
弟子は、断固として戦わねばならぬ。勝って、師の正義を証明しなければならぬ。私も、そのために決然と生き抜いてきた。
わが弟子よ、師弟の陣列に続け! 汝自身の最高峰をめざして、断じて勝て!

(随筆「新・人間革命」217 武蔵野の正義の天地)

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